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23
 
20080723224141
ジェレミアきょう変身(へんしん)かめん!!これで君(きみ)もオレンジに!!
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    22:41 | Trackback : 0 | Comment : 2 | Top
 
23
 
僕らは監視されているんです。

二次元から三次元、つまり面からは立体が認識できない。
けれど三次元から二次元を認識することはできるのだ。

僕らのいる三次元から四次元だって認識することはできない。
けれど四次元から三次元を認識することはできるのだ。

つまり僕らは、四次元という僕らが認識できない場所にいる何者かに監視されながら生きてるのかもしれない。それどころか僕らは、四次元にいる何者かによって創造されたのかもしれない。四次元にいるソイツは見えないところから僕らをあざ笑ってるのかもしれない。

そしてまた四次元にいるソイツだって五次元にいる何者かに、五次元のソイツも六次元の何者かに・・・

例えばですね、二次元の女の子がえっちな事してる画像を見ながらアレな行為に耽る三次元男がいるとするじゃないですか。
しかしその一方で、その三次元男がアレな行為に耽っている姿を見ながらアレな行為をする四次元女が、そしてまたそれを見ながらアレする五次元男が、といった連鎖が有り得るんじゃないかってことですよ。


何が言いたいかって、HP更新したからみんな見てね!ってことです。どうも最近迷走気味だ。
    00:14 | Trackback : 0 | Comment : 4 | Top
 
21
 
あのですね、昨日からホントに頭が痛くて死にそうなんです。脳汁がデロデロ耳から垂れてきそうな勢いで痛いんです。下ネタを全開にした記事を書かなきゃいかん程痛いんです。部活の時に強く圧迫されてどうにかなってしまったらしいんだけどもまさかここまでの痛みになろうとは思わなかった。痛いもう俺は駄目だ、病院に行こうにも祝日だから開いてなくて、頭痛薬を飲んだもののちっとも良くならなくて最早どうしようもない、どうしようもないのです。憎い、世界が憎い、神は俺から体の健康さえも奪うと言うのか・・・!

いや待て、もしかしたら僕は何らかの特殊能力を得たのかもしれない。この頭痛はその副作用なのかも知れない。もうじき組織の刺客が僕の元までやって来て、僕はこの力で悪と戦うことになるのかも知れない。しかし力を使って戦えば戦うほど副作用は大きくなっていき、僕は自分の命がもう長くないこと、そして自分は組織の捨て駒でしかないことに気づくのかもしれない。僕は苦悩するものの、それでも組織に従って戦い続けることしかできない自分が嫌になるのかもしれない。しかしある時自分が助けた女の子に恋をしてしまい、その子を守るため最後まで戦い続けることを決意するのかもしれない。そして最期の力を振り絞って諸悪の根源を倒し、少女に「好きだった・・・」と伝えて息絶えるのかもしれない。

といったラノベを書けば僕はたちまち億万長者なのかもしれない。もうどうにでもなれよクソッ!!!
    20:14 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
 
21
 
海の日ですね。
しかし僕は学校の夏期講習に行かなければならないのです。休日なのに行かなければならないのです。
しかし海の日だからって海に行くわけでもあるまいし、どうせこれが終われば夏休み、それに家にいたって堕落していくだけ。僕はこれでいいのです。

今日の日付を見たら7月21でした。
0721、なるほど。僕にとって、今日は海の日なんかじゃなかった。

やるべきことはきっと一つだ。
    02:49 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
 
15
 
20080715193509
なんかもう世の中が嫌になったので好物の暴君ハバネロを一気に三袋食べてみたら、頭は痛いわ胃は痛いわで気が狂いそうに…!
    19:35 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
 
13
 
えー皆さん始めまして、私が本シップログ大学のリア充学教授イエリス独田です。この学問を始めて8年と、世界各国で活躍なさっている他の教授方に比べればまだ日は浅く未熟な点も多いのですが、皆さんと楽しく学んでいけたら良いと思っておりますのでどうぞ宜しく。

さて、恐らくここにいる皆さんの多くは、私から学んだリア充学を実践し自らがリア充になろうとしている方々だと思います。しかし、リア充になる為の道は険しい。リア充とは何かを知り、理解し、そして実践しなければならないのです。ですが皆さんは、その覚悟をした上で私の講義を受けに来て下さっているものと信じております。
それではまずはリア充学の最初の一歩、リア充の歴史から説明させて頂きます。

リア充とは本来R・E・A・J・U・E、「reajue」と書くのが正式であって、日本で使われている「リア充」はそれを当て字で日本語にしたものです。
リア充、reajueという言葉は1819年、アメリカの社会学者リアン・ジュール氏によって定義されました。ジュール氏は自身の研究の中で、世の中には大きく分けると、生きることに充実感を感じている人間とそうでない人間の二種類がいる事を発見し、前者の人間を「リアジュウ」と定義、そしてこれを「リアジュウの問題性」という題で学会に発表しました。が、当時は重大な発見と考えられず大きく取り上げられることはないまま、ジュール氏は1832年、72歳の時に亡くなられました。
しかし1845年、リアン・ジュール氏の娘であるジャネット・ジュール氏が「リアジュウ―リアン・ジュールの発見」という題で本を出版。なんとこの本、リアン・ジュール氏が晩年に書き上げていたものらしく、ジャネット・ジュール氏が家の倉庫を整理していたところ原稿を発見、出版に至ったそうです。
この「リアジュウ―リアン・ジュールの発見」、生活に充実感を感じられていない多くの国民の中で大反響となり、リアジュウは一躍社会問題にまで発展。学会はこれを認めざるを得なくなり、政府も国民リアジュウ化政策を実行してこの事態に対応したそうです。が、それも過去の話、50年もすればこのリアジュウ問題は人々に忘れ去られてしまい、一部の学者のみの研究対象となってしまいました。

さて、この「リアジュウ」という言葉が日本でも頻繁に使われるようになったのは、1969年のこととなります。これは1819年にジュール氏がこれを提唱してから丁度150年と非常に後のことになります。これは鎖国や戦争などの事情などもありますが、やはりリア充学という分野のマイナーさも相まっているのでしょうね。
1969年当時アメリカの学会へ発表に来ていた学者の有田充(ありたみつる)氏は、そこで初めて「リアジュウ―リアン・ジュールの発見」を読み、日本国民にも今リアジュウが欠けていることを強く感じます。そこで有田氏は、日本国民にリアジュウの必要性を訴えるため、この本を翻訳し出版したのです。そしてこの本はアメリカと同様に、生活に充実感を得られていない人達の中で大反響が起こりました。また、日本で「リア充」という表記が使われているのは、この時期にテレビで放送された有田氏のインタビューの中での「私のことはリアジュウの充ってことでリア充とでも呼んでください」という発言が原因となっています。
そしてその後40年程の間に日本でのリア充学は急激に進歩してゆき、最早今の日本はリア充学の権威と言っても過言ではなくなりました。しかしその一方で、正式名称である「リアジュウ」という表記を使わずに「リア充」と表記することに対する疑問の声も少なくなく、物議を醸しています。

これから更にリア充学を発展させ、世界平和へと役立てる事がリア充学者の願いです。我々は皆さんがリア充になれることを期待しています。

さて、第一回リア充学講義「リア充の歴史」も語り終えたので、そろそろ終わらせて頂きたいと思います。それでは次回は「リア充の生態」についてお話しさせて頂こうと思いますので、それまでに今日の復習をしておくように。ではまた次回お会いしましょう。
    20:31 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
 
04
 
ある夏のことである。一人の高校生が、決意をした。
狭い部屋の中には、この男のほかに誰もいない。ただ、がらくたで散らかった机の上に、PCが一台置いてある。高校生は毎日、このPCを弄り回すことで時間を無駄に潰していた。高校生である以上は、アルバイトに励んだり、彼女とLoveloveしたりしそうなものである。それが、この男はただPCと戯れている。
何故かと云うと、この二、三年で、高校生はひどく堕落した。そこで生活のさびれ方は一通りではない。現記によると、異性と会話することすらまともにできず、最早PCが恋人になってしまったと云う事である。高校生がその始末であるから、生への気力もただひたすら落ちていく。――そして今日は、試験が続くせいか、更に気力が落ちている。もちろん、勉強をする気力もない。高校生は狭い部屋には大きすぎるくらいの椅子に座り、キーボードに文字を入力しながら、ぼんやりと画面を眺めていた。
作者はさっき、「高校生が決意をした」と書いた。高校生は普段なら、夏休みは何もせずただ無駄に過ごす筈である。所が高校生は数日前、「今夏は何か強大なことをしたい」と思い立った。前にも書いたように、高校生は一通りならず堕落していた。今この高校生が、このような決意をするに至ったのも、実はこの堕落の大きな余波にほかならない。しかし、高校生は強大なことを成し遂げるという決意だけはしたものの、具体的に何をどうしようと云う当ては無かったのだ。だから「高校生が決意をした」と云うよりも「高校生が決意だけしたものの具体的な目標が決まらず、途方に暮れていた」と云う方が、適当である。どうしようもなくなった高校生はとりあえず、こうして羅生門のパロディ文章を書くことで現実から眼を背けていたのだ。
    14:26 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
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